つぶらな瞳の子供達・・・
先々年カンボジアに旅行した折のこと 勿論観光の目当てはアンコールワットとその近辺の遺跡群ですが そしてそれは確かに素晴しく目と頭の保養や栄養にはなりました
それとは別に予想外な感動を覚えたのは 長きに渡って続いた内戦と貧困で 未舗装道路が殆どの その路上をはだしで遊びまわる現地の幼児達の瞳の美しさでありました
真っ白地に真っ黒な瞳が鮮明に輝いている見栄えは 素晴しく印象的で それが彼らが携えている貧困を 余計に際立ってあぶりだしてくるように感じられて この子供達は果たして無事に育って成人できるのだろうかとか 義務教育もつつがなく終えられて識字のできる大人になれるのだろうかとか その無邪気で健気な遊びぶりと 瞳の強い輝きを眺めていると 本当に老婆心めいたものを感じざるをえませんでした
同時にこの美しく澄んだ瞳が いついつまでも見られるような そんな大人になってもらいたいものだと 祈るような気持ちになったものでした
それからすぐにその希望は 私の身勝手な願望に過ぎないということに気付き 逆にこの子達の瞳が 一刻も早く私達の国の若者のように だるくて鈍くて輝きの薄い瞳になることが それが幸せなことなのだろうという残念な(?)認識に達しました
確かにいつまでも素朴で美しい瞳で居ることは 同時にいつまでも貧困をも背負っているということを示すに他ならなくて 渋谷や原宿や六本木の若者達のように その背骨にアンニュイ感をしみこませられるほどの 日常の豊かさや 或いは子供の頃からの塾通いに奔走させられる子供達の 世知辛さを享受できるようになることが そもこのつぶらな瞳からの脱却であり だからいつまでも澄んだ瞳で居ることは 眺められる私には嬉しいことでも 当人達にすれば一向に嬉しくもなく 一日でも早く豊かな国での豊かな子供達へと 変貌を遂げたいに決まっているに違いないのでしょう
今日のわが国の子供達の 懸命で苦痛とも思えそうなその塾通いも 彼の国の学校へ通いたくても通えないという子供達にしてみれば 羨望の限りであるのかもしれません
例え死んだ魚の瞳のようと表現されようと かつて私達がたどって来たように 彼らにとってもそのつぶらな瞳と その瞳の輝きを失える日の来ることを ひたすら生の願望と感じることに違いはないのでしょう!!・・・
大都会では純真無垢な瞳は存在し得ないのかなあ
文明化による複雑な人間関係や拝金主義が瞳の輝きを失わせるとなれば仕方ないのかなあ
今日はドイ・インタノン(タイ最高峰)麓にあるゴルフ場へ出かけました 工事中だけど仮オープンしているところです
キャディさんはほとんど新人で初々しくてキャディの仕事はあまりできないけれど一様に純真そうな顔ばかりでしたよ
いつまでモツかなあ
投稿: tedsaab | 2010年2月 4日 (木) 22:14
チェンマイには珍しい 山地のゴルフ場なんでしょうか それにしてもこの時節に新規オープンとは 豪勢ですね!?・・・
それこそ 瞳のつぶらなキャディーさん(!)でしょうか
確認に行って見たいものです 小一時間で着くのでしょうか?・・・
投稿: 文芸夏冬 | 2010年2月 5日 (金) 06:18