吉野の不思議?・・・
寒さのなかでホッと得られる小さな楽しみは じきに梅花の光景を目にできるという期待感であり それをもう少し引っ張ると 桜花爛漫の目の贅沢が出来る一年でほんの一時とはいえ 至上の楽しみに巡り会えるという期待感であり その思いゆえにこの寒空の中 加齢族は耐えているという切ない表現で その冷えた日々の心境を正直に表せているのかもしれません
で この頃の時期になると毎回脳裏に浮かび上がっては おかしいなあと悪い頭で漠然と私が感じるのは 彼の桜の不動の名所である吉野の地が 主人公とも成って歴史に現われる「太平記」 つまり南北朝時代の吉野と京の距離間というか 距離感そのモノなのです
吉野は大阪から特急で1時間くらいの距離 東京で言うなら箱根くらいの距離に位置する頃合の地です
京からでも真南へ直線距離で恐らく百キロ少々の遠さではないでしょうか
そのくらいの距離に南北朝の二王朝が分立して お互いに覇を立てんと武力で争い続けて やれ楠正成の新田義貞のと日本各地で戦乱を起こし続けたという記述が 太平記によって知ることができます
私が不思議なのは 日本各地で戦乱を起こし続けるくらいなら どうしてお互いに百数十キロしか離れていない王朝の本拠地を ずっと主戦場にし続けなかったのかということなのです
相手の頭を亡きものにしたら 争いというのは一気にカタがつくというものでしょう
例えば箱根に相手の根城があるという状況で どうして東京派はそれを迂回して 地方で戦争を繰り返すようなまどろっこしいことをする必要があったのでしょうか
一気に箱根に攻め上がり そこで篭城する相手を時間をかけても責め続けるのが 相手の勢力を駆逐する最短の戦術でしょう
ましてや箱根と比べて吉野の地の方が はるかに峻険でなく登り易い つまり攻め易い地形であることでしょう
はたしてこの両皇室は何十年にもわたる確執を どこまで本気になって闘っていたのだろうかという疑問が 湧いてこざるを得ない気分になってしまうのであります
本当に湊川や福山やとその戦乱の跡を思うにつけ その武将達はなんか踊らされ無駄なイサカイのために 精魂をつぎ込めただけの気の毒な人達という思いすらが 或る種湧いてくるというものです
本当に驚くほど近い京と吉野の間で このイサカイを演出し続けた影のプロデューサーはどんな男だったのでしょうかと 桜の季節が近づくにつれ毎年毎年私はそんな思いに駆られ続けるのであります