2010年2月 9日 (火)

吉野の不思議?・・・

 寒さのなかでホッと得られる小さな楽しみは じきに梅花の光景を目にできるという期待感であり それをもう少し引っ張ると 桜花爛漫の目の贅沢が出来る一年でほんの一時とはいえ 至上の楽しみに巡り会えるという期待感であり その思いゆえにこの寒空の中 加齢族は耐えているという切ない表現で その冷えた日々の心境を正直に表せているのかもしれません

 で この頃の時期になると毎回脳裏に浮かび上がっては おかしいなあと悪い頭で漠然と私が感じるのは 彼の桜の不動の名所である吉野の地が 主人公とも成って歴史に現われる「太平記」 つまり南北朝時代の吉野と京の距離間というか 距離感そのモノなのです

 吉野は大阪から特急で1時間くらいの距離 東京で言うなら箱根くらいの距離に位置する頃合の地です

 京からでも真南へ直線距離で恐らく百キロ少々の遠さではないでしょうか

 そのくらいの距離に南北朝の二王朝が分立して お互いに覇を立てんと武力で争い続けて やれ楠正成の新田義貞のと日本各地で戦乱を起こし続けたという記述が 太平記によって知ることができます

 私が不思議なのは 日本各地で戦乱を起こし続けるくらいなら どうしてお互いに百数十キロしか離れていない王朝の本拠地を ずっと主戦場にし続けなかったのかということなのです

 相手の頭を亡きものにしたら 争いというのは一気にカタがつくというものでしょう

 例えば箱根に相手の根城があるという状況で どうして東京派はそれを迂回して 地方で戦争を繰り返すようなまどろっこしいことをする必要があったのでしょうか

 一気に箱根に攻め上がり そこで篭城する相手を時間をかけても責め続けるのが 相手の勢力を駆逐する最短の戦術でしょう

 ましてや箱根と比べて吉野の地の方が はるかに峻険でなく登り易い つまり攻め易い地形であることでしょう

 はたしてこの両皇室は何十年にもわたる確執を どこまで本気になって闘っていたのだろうかという疑問が 湧いてこざるを得ない気分になってしまうのであります

 本当に湊川や福山やとその戦乱の跡を思うにつけ その武将達はなんか踊らされ無駄なイサカイのために 精魂をつぎ込めただけの気の毒な人達という思いすらが 或る種湧いてくるというものです

 本当に驚くほど近い京と吉野の間で このイサカイを演出し続けた影のプロデューサーはどんな男だったのでしょうかと 桜の季節が近づくにつれ毎年毎年私はそんな思いに駆られ続けるのであります

2010年2月 8日 (月)

性格回帰?・・・

 若い頃には まったく実感できませんでしたが 初老の域にどっぷりとつかり出して 初めて以前には予想もしなかったことが 如実に実感できることがまま出現して来るというものです

 その一つとして 最近つくづくと思い知らされているのは 各人の持っていたおよそ若い頃からの特徴的な性質というか性格は 老齢の域に入りだすと それがますます顕著にというか 殆ど意固地ともいえる強さでもって その人に具現してくるということなのです

 歳をとると人は大抵が画一的な つまり年寄りっぽいと一括りされそうな性格に 収まるような印象を受けがちで有ります

 どっこい 私の直近の印象では実はそうではなくて 元々あったその人の長所短所に関わらず その人のその人たるような顕著な特徴が 加齢と共にますます深化するかのように培われて行くようなのです

 零細企業たるわが社の他の役員を観察していると 若くして慎重でややもすれば細かい気配りの過剰気味だった人は 近頃ではそれってちょっと心配しすぎじゃないのかと 端から口を出したくなるほど あらゆる小事の成り行きに齟齬のないことを気にかけだしているし 地方の田園地帯で少年期を迎えた人は 正直を通り越して ますますバカ正直に傾き あんた一体何年この生き馬の目を抜くといわれる大阪で 営業活動をしてきたのだと皮肉の一つもいいたくなる程に 馬鹿正直度が増してくるようなのであります 

 と云うように若かりし頃の特徴的な性格が 加齢によって薄められるよりは 加齢によってかつてない以上に先祖帰りしているかのような雰囲気を 私は感じ取らざるを得ないのです

 ちなみに 各云う私はどうなのか?

 その御他聞にもれず 私はここんとこ尚一層いい加減さが加重していっているのが 厭になるほど自分でも自覚されるのです

 それが昂じると 時に何でもどうでもいいじゃないかと いつまでも切ろうとしない電話の相手に向けて 受話器を叩き降ろそうという衝動に駆られだすことも有り得て 若き日の癇癪玉の破裂とはまた趣の違った気分に アアそういえばこれも私の長年持ち来たったいい加減さの果てに近い結末か?なんて 半分呆れ半分諦めの気分で その次の瞬間にはもうそんなすべてが面倒臭くなって忘れようとする毎日なのであります

いい加減こそ マイ人生?・・・

 

2010年2月 7日 (日)

ひもじさや?・・・

 昨今のダイエットブームは凄まじいものがあります 

 と断定しても決して大袈裟ではないほどの勢いで 冷静に考えたらまるで叶わぬ夢みたいな数々の方法が コマーシャリズムに駆り立てられながら メディアに登場してきております

 ここに一枚の家族写真みたいなポートレートがあります

 それは昭和も二十五年頃の 私の父方の叔父叔母達の若き日の全身図に近い写真であります

 一番若い人で当時十五歳程度 年嵩の人でも二十台半ばというくらいの年齢でしたでしょうか その頃幼児であった私は 当座はその写真を見て何等の違和感も無論覚えることもなく 文字通り一片の写真にすぎないものでした

 近年家移りで荷物を整理している時に たまたまその写真が再び日の目をみて 私の前に登場して来る機会に遭遇いたしました

 なんか戦後直後のフランス映画の登場人物みたいな感じが少しあって ヘェー意外に美形の家系(?)だったんだ とその後碌な印象を与えてくれなかった性格悪そうな叔父叔母の外形を そこそこに評価し直したものでした

 けれど もっとそして根本的に驚かされたのは その各人の痩せてというか 痩せすぎてやたら目だけが大きく感じられるほどの 表情の異様さというか 栄養失調者の集まりと信じられそうな 或いはゲットーへ収容されたユダヤ人もかくあらんと想像されそうな 貧相な体格の立ち姿でありました

 当時それでもその中の誰一人が 際立って病弱ではなかったし 誰一人近所の住人とくらべても 痩せすぎでイエローカードという状態と思われている者もおりませんでした 戦後の食料不足の時代に生きた人間の それが常態だったのでしょう

 それから幾数十年その写真の彼・彼女達は それぞれ分厚すぎる皮下脂肪を身にまとい その負担にたえきれず それぞれに不自由な歩行振りに陥る老年になられました

 そういう写真を見たからでは必ずしもないのですが アメリカ人のみならず 私達日本人も 新たなバベルの塔を築きあげだしているという懸念に 私は最近捉われだしてきてなりません

 その塔の壊れた時のおそろしさ?!

 それが直結する事態と言うのは 辛うじてかすかに覚えている 幼児の頃の ひもじさの思いであります・・・

 失恋や 奪恋や 失職や 盗難や イジメや 引きこもりや等と 浮き世の苦難は数かぎりないものがありますが しかしわけてもその辛さNO,1は ひもじさをおいて他には見当たらないでしょう

 バブル(?)の塔が 再び私達のこの富んだ社会でバベルの塔とならないようにと 切に祈りたいものであります

 しかし私のこの恐怖心が 今の若い人には通じないでしょうね ひもじさのそら恐ろしさというものが?!・・・

2010年2月 6日 (土)

椅子知らず?・・・

 ダビンチのかの有名な「最後の晩餐」図は 食卓を前に椅子に並んで座っているキリストとその弟子達という絵柄であります

 本当にキリストの頃はそんな風に食卓を前にして 椅子に座っていたものかはとにかく 少なくともダビンチがそう描いたということは 少なくとも彼の時代にはそんな食卓風景は 不自然ではなかったということは確かでしょう

 中国の古典的絵画にあっても 代々のインペリアルたる人物達は それぞれに玉座という椅子に腰掛けて 下々を睥睨する図がごく普通に描かれているようです

 劇画をそのまま映像化したかのような 韓流のTVドラマにあっても下々の家屋内の生活は別として 宮廷内では床の上にそのまま座っている人なんぞは見かけられません

 およそあらゆる万物が中国を源流として わが国に伝えられた観のある私達の日常生活なのに ほんの少し前まで床や畳に座る生活スタイルがすべてであって ついぞ椅子なる家具に腰を落とすという風習が 普及しなかったのはどうしてなんでしょうか?・・・

 過去の皇位や高位の人物の肖像画は その殆どが 床の間の如き座敷の上の位置に鎮座して 正面向いている図柄ばかりのような気がして 誰一人として椅子に腰掛けている状景を絵にされた人は 居ないのではないでしょうか

 江戸時代の末期頃以前に 椅子が市民権を得られそうになかった その理由や原因は一体どこにあったのでしょうか?

 畳という存在が 日本人の気性に合い過ぎたから?

 正座という畏まりが 尊敬語や謙譲語という複雑な言葉遣いをすることと同様に 日本人には歓迎されるべき行為であったから?・・・

 いずれにしても 明治維新に伴なう西洋からの文明開化事業以来 圧倒的なスピードで椅子生活が普及しだし 市民権を得られだしたのでしょうけれど・・・

 今日の若い人達の股下の長さは別格として 総じてそれまでの日本人の股下丈の短めぶりは 一にも二にもひたすらこの下半身を抑圧する正座習慣の繁昌振りにあったのではないでしょうか・・・

 それにしても 本当にどうしてかくも長く私達のご先祖は 椅子に馴染むことのない生活習慣を堅持していたのでしょうか?

2010年2月 5日 (金)

災いは自転車に乗って?・・・

 つい先頃のことです 例によって事務所で暇を持て余して 鼻毛をひねくっていたら 当社の営業用のトラックのそのうちの一台の運転手から ケイタイ電話でかなり逼迫したかつ動揺にみちた声で連絡がきました

 「スイマセン 自転車と接触事故を起こしました 予定がかなり遅れます スイマセン」

 何年ぶりかとはいえ またかという気分で 至急その日の彼の以後の予定を別の車に組み替え直しました

 昼過ぎにくだんの男が帰社いたしました 朝の電話の様子とは打って変わり 浮き足だったところもなく かなりの落ち着きを取り戻していて 私も一安堵の気分になることができました

 よくよく事故の様子を尋ねてみると 信号のない交差路で相手の自転車がフラフラと制止も出来かねる様子で伸びだしてきて ついにはこちらのトラックの最後尾の側面に当り 相手は落車 そのまま救急車を呼んで病院へ 瞼の辺りを4・5針縫う負傷とのこと

 相手の言うには 脳梗塞の後遺症があり右手の握力が弱くて どうしてもブレーキを利かせにくいとのことで おまけに自転車のブレーキそのものが 整備不良でこれまた利きが甘くなっていたとのこと

 おまけにその交差路は こちらのトラック側が徐行 相手の進入路の方が一旦停止の標識があったということでした

 それって接触事故を起こしましたではなく 起こされましたという次元の事故ではないのか? 本当にいつもながらの善良な彼の性格ぶりに 少しあきれ今更ながら感心する気分にもなりました

 フーン おまけにすぐに救急車を呼んで 病院まで運び応急手当も遺漏がないし それでもこちらが悪いのだろうか と私

 ひとたび弱い立場の方が負傷をしたら まったくこちらに手落ちがなかったということには 日本の国の交通法規では有り得ないのではという意見が 社内では多数派を占めるようでした

 いずれにせよ検察庁の判断次第とのことで どういう判断が下されようと これって自動車側の人間にとっても かなりの災難なんでは?! 

 せめて相手のお爺さんが その程度の負傷で済んだということを 不幸中の幸いと思い為して 双方とにかく無事な事故で良かった良かったと かなり恣意的にも喜んでいることが この後のお互いの展開を明るい方に導いて これ以上の災いを招くことから 遠ざけてくれるものなのかもしれません

 と思うしか こんな理不尽な出来事から 気分を一新する方法は他には無いでしょうし?!・・・

2010年2月 4日 (木)

つぶらな瞳の子供達・・・

 先々年カンボジアに旅行した折のこと 勿論観光の目当てはアンコールワットとその近辺の遺跡群ですが そしてそれは確かに素晴しく目と頭の保養や栄養にはなりました

 それとは別に予想外な感動を覚えたのは 長きに渡って続いた内戦と貧困で 未舗装道路が殆どの その路上をはだしで遊びまわる現地の幼児達の瞳の美しさでありました

 真っ白地に真っ黒な瞳が鮮明に輝いている見栄えは 素晴しく印象的で それが彼らが携えている貧困を 余計に際立ってあぶりだしてくるように感じられて この子供達は果たして無事に育って成人できるのだろうかとか 義務教育もつつがなく終えられて識字のできる大人になれるのだろうかとか その無邪気で健気な遊びぶりと 瞳の強い輝きを眺めていると 本当に老婆心めいたものを感じざるをえませんでした

 同時にこの美しく澄んだ瞳が いついつまでも見られるような そんな大人になってもらいたいものだと 祈るような気持ちになったものでした

 それからすぐにその希望は 私の身勝手な願望に過ぎないということに気付き 逆にこの子達の瞳が 一刻も早く私達の国の若者のように だるくて鈍くて輝きの薄い瞳になることが それが幸せなことなのだろうという残念な(?)認識に達しました

 確かにいつまでも素朴で美しい瞳で居ることは 同時にいつまでも貧困をも背負っているということを示すに他ならなくて 渋谷や原宿や六本木の若者達のように その背骨にアンニュイ感をしみこませられるほどの 日常の豊かさや 或いは子供の頃からの塾通いに奔走させられる子供達の 世知辛さを享受できるようになることが そもこのつぶらな瞳からの脱却であり だからいつまでも澄んだ瞳で居ることは 眺められる私には嬉しいことでも 当人達にすれば一向に嬉しくもなく 一日でも早く豊かな国での豊かな子供達へと 変貌を遂げたいに決まっているに違いないのでしょう

 今日のわが国の子供達の 懸命で苦痛とも思えそうなその塾通いも 彼の国の学校へ通いたくても通えないという子供達にしてみれば 羨望の限りであるのかもしれません

 例え死んだ魚の瞳のようと表現されようと かつて私達がたどって来たように  彼らにとってもそのつぶらな瞳と その瞳の輝きを失える日の来ることを  ひたすら生の願望と感じることに違いはないのでしょう!!・・・ 

2010年2月 3日 (水)

機会均等?・・・

 諸外国と比べて わが国はかなり平等な社会というか 出来る限りの平等性を希求するのが当然という気風で溢れた国家だとは信じられます

 富の偏在率や寡占率は 他国のそれと比べてもかなりな低率であろうとは感じられます

 しかしいかにわが国といえども それにしても超共産主義的な平等性というのは有り得なく ましてやこの不景気でホームレスあり 失業者あり 夜逃げ者ありと 恵まれない人達はかつてない続出ぶりでしょう

 又それ以前の問題として各個人にまつわるきわめてプライベートな不幸案件  例えば代々の重い遺伝病を受け継いでいたり 突然の災害に遭遇して保護者や配偶者や扶養者を亡くしたり 様々な刑事や民事での被害者的立場に置かれたりでの 難渋する日々を送らざるを得なくなり 一見安穏と暮らしている観のある世間様を羨ましく思って生きている人が 沢山居られるであろうことは否めません

 また一・二歳で亡くなる人も 百の長寿を迎えられる人も有りで そういうこの世での滞生時間の不均等というのも 当然のようにこの地球上では既成事のようにはなっております

 つまり一旦この世に生き始めたからには 他者とまったく同一・同平等ということは 社会上の環境面や また個人の遺伝子的状況からも有り得はしません

 しかしです! 然りもうお解かりでしょうけれど 一つだけ誰に於いても全くの同条件 全くの超機会均等という物事がこの世には存在いたします

 「死」

 全く以ってこの一点だけは どうしようもなく私達にあって平等であります

 しかし何ゆえそれでは 「死」を迎えなければならないそもそもの「生」という現象が発生して そこでは全員が均一な平等性を有することはなく けれどややもすれば苦という感覚に襲われがちな「死」という現象だけは 平等に引き受けなければならないのかという 私達にとってかなり理不尽に思われる感情や気分がフツフツと湧き出すというものでしょうか 

 (もっともそれもあって 古来からそも形而上学などという 哲学的雰囲気を人類にあらしめるに至った由来のものなのでしょう・・・)

 全くもって万人に平等なるもので 唯一祝福感を覚えられない十三階段的現象なのであります・・・

2010年2月 2日 (火)

私は夢中人か?・・・

 人間五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻のごときなり だとか 一場の夢 だとか 或いは胡蝶が我か 我が胡蝶か 云々というように 人生や人間の存在そのものを問うにあたって 「夢」にすぎないという結論や 「夢」という言い回しが古来からよくなされてきました

 確かにその結論を否定はしませんし 古来より人類が形而上学的思考にて 自分達の存在を模索した時には 夢という言葉にたどりつきがちになるのは 否定のしがたいものであるというのも 大いにうなづけるというものです

 突詰めてみると いや突詰めるほど不可解さが増して あげくが自分の足元から自分という存在の核心が不確かになって行くという 我思う 故に我不可解というのが 人類の叡智が今の所たどり着ける わが身を問うにあたっての解答であるような次元では 所詮は我もあれもこれも すべては夢という一言に帰してしまうのが きわめて妥当そうで 自分の気分もその一言で 依然としてなんとなくすっきりとはせぬままに それでもまあ一応そんなものか アア夢のようなものなのかと自分の気分を多少でも納得させられるものがあるのやもしれません

 しかし 私にあっては その結論を「夢」という一語で片付けるには 釈然としない気分が若い頃より始終ついて回っておりました

 私もこの世界も所詮は夢だと片付けられるのなら ではその夢を見ている者は誰なのだ?・・・

 勿論私そのモノなのだと言われるかもしれませんが その夢を観ているのが私なら それならその夢を観終わってしまったらどうなるというのだ 夢を見終ってからの私はなんなのだ? そこで見終われば 所詮人生は一場の夢という表現に齟齬をきたすことになるのでは?

 つまり私があるかぎり 私が夢を観続けるのではなく 私を包含したこの世界すべてを夢として見続けるもの 或いは私がある限り この世の夢が夢としてあり続けるわけで その夢を果たして誰が観るということになっているのでしょうか?

 私が観るのではなく 私を含めたこの世界を夢だと断じる観覧者が居なければ 果たしてこんな人生を所詮は夢と断じることは 論理的に矛盾して有り得ぬ思考筋に違いないと 私には思えてならないのですが?!・・・

2010年2月 1日 (月)

人間改良?・・・

 その昔私はよほどの旬の時期の苺でないかぎりは 苺は砂糖やコンデンスミルクをまぶして食べるものだという感覚をもっておりました

 同時にその頃のトマトというのは やたら多くの粒々の種が あのとろとろの果肉の中に包含されていて またその食味も今ほどに口当たりのよいものではなく もろに野菜という印象を与えてくれる存在という思いがありました

 要するにかつては両者共に 今よりは美味くなかったということであります

 胡瓜は夏系の野菜であり 夏の大根は出回っていたとしても およそ苦すぎて当時子供であった私には脅威を感じさせる食材でありました

 というような往時の食材は 現在では年中食卓にのぼり 往時の味を知るものには隔世の感を催させる程の変貌を遂げました

 これひとえに品種改良の発展のおかげであります

 同様に しかしその以前より私達 つまり人類はコツコツと私達の存在を自己改良 つまり人類の品種改良を行い続けてきた健気な存在なのであります

 有史以来優れた思想家や宗教家やモラリストが現われ続けて そのたびに私達の御先祖は人工化(?)の洗礼を受け続けて その被教育的累積が今日の私達に集積されているし 今後もまた更にそれが積み重ねられ続けてゆくことなのでしょう

 また自然科学系の学問や研究の飛躍的な発展により 今後は遺伝によって発症する様々な難病は その遺伝子の操作によって解消されることが可能になり 又厄介な種々のウィルスに抗することのできるワクチン的免疫体を あらかじめ体内に醸成できるようにしたりと それこそかつての苺やトマト同様に 人間の体そのものにも品種改良を存分に施せる時代が来ることでしょう?!

 ロボトミー化に似たという認識もあって またかつてのナチスドイツの民族純化政策を連想させるものもあって 嫌悪感を抱く人も多いかと思いますが 脳のある部分を加工や変異させることで 総じて人類の知能指数を底上げしたり 或いは狂的な次元に達するような凶暴心は どんな状況にあっても人類から起こさせないような気性に変節させたり 或いは過食を防ぎ この地球上から得られる限りある人類の食材を 増大する人口にほぼ均等に与えられるように 人類の食欲という欲望を一定内に抑える調節を 脳内に施すとか という風に人間改良がごく自然に行われる時代が到来することでしょう

 早い話が 今既に或る人工臓器や 人工臓器的医療機器は その人間改良そのものに違いはないのだから?!・・・

 

2010年1月31日 (日)

制御不能?・・・

 大した関連はないのですが 秋葉原で起きた通り魔殺人事件の裁判報道を目にして ふと思い出したことがありました

 私の四歳の頃の話です

 近所の遊び友達の兄弟と私の三人を 当時独身の叔母が引率してくれて デパートの屋上のミニ遊園地へ赴いた時のことでした

 その幼馴染の友の兄の方は 地元でのガキ大将というか とにかく幼児仲間の間ではいじめっ子で知られた存在で 実際私もその餌食となっている渦中にありました

 それが伏線としてあるのですが 今でいうコーヒーカップ状の遊具に三人で乗った時のことでした

 カップの中心にあるテーブルには小さな円状のハンドルがしつらえられてあり 椅子に腰掛けた誰でもがそれを回すことが出来て カップ全体の大きな回転はつまり地球の公転の様な回転は あらかじめ装置が自動で行うのですが そのハンドルを回転させることで 地球の自転のような各々のカップの回転は そのハンドルで行えるようになっているようなのでした

 普段威張りちらしているそのガキ大将君は どうやら乗り物酔いのしやすい体質なのか カップが動き出して早々から顔色が薄青く変色しだしてくるのが 幼い私にも解りだしました

 「もうやめよう もう止めよう・・・もう止めて!!」と普段の勢いが嘘のように弱気になりだしました

 「吐きそう 吐きそうだよ」

 ハンドルを握る私の手をそこから必死に剥がそうとしてきます

 半ば無意識にでも 積年の(?)いじめられてきた恨みが こみ上げくるのでしょうか 上半身をテーブルの上にまで傾けて 必死で私はハンドルを廻し続けました

 私達の乗ったコーヒーカップは 恐らくダントツな自転スピードで回り続けたことでしょう 

 「止めて 止めて!! 止めてー ヤメテー」

 悲痛な叫び声が遊具内をこだまし続けました

 私はものに憑かれたように それこそ死に物狂いでハンドルを廻し続けました

 「何て子なんだろう 小さいくせに狂ったような顔つきになってしまって・・・どうして? スピード狂の坊やか?」と さして事情の知らない叔母は 手すりの外から私達を迎えながらひたすら驚いておりました

 この時自分でも自身を制御できないことを 人生で(?)初めて経験をしてしまい 驚きというか 少し怖ろしくもありました

 いやあ 自分にもこんな一面があるのだと・・・というか普段抑圧されていると なんかの拍子にそれが破裂すると とんでもないことをしでかすものだなあという実感を得たというか?!・・・

 で その時の経験が立派な(?)教訓として 刻印され続けてきたのか その後の人生で再び切れそうとか 狂いそう(?)とかという状況に近くなった時にも よしんば一時の気分に押されて そんな状況に身を陥れても 結果的に一向に自分も楽しくはないし 済んで見てただはかなさや 虚しさだけが残るものだという はるかな記憶が潜在し続けていてくれるかららしいのか その後はおよそ衝動的で破壊的行為に走ることはなく 世間並みの一市井人として この世に滞在してこれたというわけでなのであります (おおげさか?)