2010年8月23日 (月)

恐れ入谷の鬼子母神?・・・

 西日本 とくに大阪ではまだまだ連日35度アップの華麗人(加齢人)泣かせの毎日が続き これでは週休二日が例え三日になったところで ちょっとやそっとでは疲れが取れないだろうという酷な日々に見舞われ続けております

 折も折 もっとも水銀柱が伸長する午後の二時頃に 御年87歳になられるお方が独りで自らトラックのハンドルを握り わが社の倉庫に鋼材を搬入に見えられました

 クーラーの利かない倉庫には 特にこの節は滅多と降りない私ですが さすがに往復3時間をかけてやって来られたという そのスーパーマンぶりには 敬意を表するというか あらためてその尊顔を拝すべきとでもいう気分になったのでしょうか 荷降し作業中のその御仁の元へ もう既に私の方が額に汗を滲ませながら歩み寄りました

 「ご無沙汰でしたが 相変わらずのお元気ぶりで 何よりです 特にこの今年のしぶとい暑さの中でも・・・」と私

 「この盆休みは 神奈川まで行ってきました 次男が署長に栄転した祝いをかねてね」と 私の今年のお休みは?という 慣用句めいた挨拶の機先を制するかのように その御仁は問われるまでもなく 語られました

 「よくまあ この暑さのなかを! しかしどうしたらそんな健康体でいつまでも居られるのでしょうかね まったく羨ましい・・・」と私

 「神奈川から帰って 今度は豊岡へ行きました これは仕事でね さすがに少し骨が折れました・・・」

 「考えられないタフさです ほんと信じられないですよ 私なんか余程若輩なのに 茹だりっぱなしですよ」

 「そんなことはないです 皆さんに云われるほど私は元気なつもりもありませんよ ただ・・・・」

 「ただ・・・疲れだしたら そんな時はいつも私は思い出すことにしているんですよ  戦争に行っていた時のことを・・・」

 「そりゃ 大抵のことは辛抱・・・」そこで遠くを見つめる眼差しになって 少し頬の筋肉を締められたようでした

 ヘェーでもウーでもエーッでもありませんでした 

一瞬にして 私は脳髄までシーンと澄み切った氷塊が滑り落ちて行く感慨に打たれたのであります・・・

2010年8月19日 (木)

コペルニクスよ さようなら?・・・

 先だってなにげなくTVに見入っておりますと 現代の地球上はかなりの程度 生存生物の多様性(多様種)の存続が危ぶまれているとの由でした

 奥日光の高原地帯は今現在は見るも美しいお花畑になって 新しい観光名所となりつつあるとか しかしほんの十数年前は一面の雑草種の繁茂地帯に過ぎなかったとか 

 どうしてこんなに様変わりしたのかというその因は その辺りに野生する鹿達の繁殖数が著しく増えて 見る間に辺りの雑草を食いつくしてしまい 野生鹿の食さない種の雑草だけが自然と生き残り それがたまたま人目をひく高山性の花々だったということらしいのです

 また十数年前に大変な旱魃で琵琶湖も干上がった年があり 極めて水位がさがり水量の少なくなった状態で しかし琵琶湖に流れ入る生活排水などからもたらされる富栄養分は衰えず そのためその年を境に琵琶湖には一気に水草が繁茂し 今では南湖の全域が水草に覆われ 漁も行い難くなり また本来そこで生殖していた在来種の魚達 例えば鮒や鯉や鮎などという種は殆ど絶滅し その水中での密林と化した水草を安住の棲家となして大いに繁殖したのは わずかにブラックバスだか或いはブルー何とかという外来の単一種のみとなっているという紹介が 映像を通じてもたらされておりました

 歴史上こんなに急激に地球上の生存種の減少がみられるのは いまだかつてなかったことで 危機的状況だという研究者のコメントが極めて説得力をもって 見るものの胸を打ってくるものでありました

 従来からの自然のバランスが何等かの理由から崩れて ある種の生物が優勢的に存在感を増すと その段階から他種の絶滅への危機が顕著に起きてくるということで それでなくともこの地球上の環境面での危機が叫ばれている折から 我々はなお一層のこと この地球上の種の減少を防ぐような努力と手立てを真剣に考慮すべきであるというのが その番組の趣旨であったのでしょう

 そしてその趣旨は見事に表現された 説得力のある番組ではありました

 しかしこの百年間で3倍になり この1千年間では20倍になり 西暦0年には3億人程度であった地球上の人口が この2千年のうちに60億人になり 現在では一分で152人 一日で22万人 一年で約8000万人の人口増となっているという 我々の驚くべき繁殖力(?)が そもそもの地球上の種の多様性を妨げている最大の因ではないのでしょうか

 我等のひたすらの繁殖の為に他生物を捕食しまくり 燃料やエネルギー材としての化石資源を燃焼しまくり それが地球環境の劣化を拡大・促進することによる環境面での激変が 他生物種の生存を危うくするであろう云々と 他種の生物種の減少のヒール役は まぎれもない我々人類そのものでしょうに・・・

 わが身の身勝手さを 視点の原点に置かずに・・・まったくよく言えたものよ!・・・です 

2010年8月10日 (火)

唯我論って?・・・

 釈迦にまつわる妄言 天上天下唯我独尊 ではありませんが 切られて赤い血が他人の肌から溢れても わが身から溢れるそれとは痛みも恐れも比較にならないほどの差があるのが 唯我論の本質的な立脚点ではあります

 長い(?)人生を来る日も来る日もそれに基いて 超主観的に私は自身の存在の根拠や本質を尋ね求めさまよって来た者であります

 しかし世に平行線というグラフ上のラインは有っても 永遠に右肩上がりのラインや或いは右肩下がりのラインというのは有り得なさそうで 即ち頂点を極めるとやがて下降へのラインをたどり やがてまた最下点に達するとまたぞろ上昇のラインを志向しようとするのが 世の倣いであるかのようで・・・・

 つまり私にあっても数十年徹頭徹尾唯我論を肌身離さずにいただきつづけ 自身の存在の根拠とし またそれをもって自身の存在の或いはその核たる「頭脳」の成立しえたところのものを解明したくて 彷徨い続けてきたさしものサマヨエルオランダ人ならぬ サマヨエル頑迷人だったものが ここ数日でまったくそれまでは考えも感じも及ばなかった感覚を抱くようになりだしました

 発想の転換というべきなのか これまでだったら自身の思考力の敗北としか感じざるを得なかったであろう つまり一度これまでは持ち離せなかった唯我の立地を解き放ち かなりな程度に我を解消し 数億或いは数十億分の一たるこの地上の一人間という意識を 甘んじてではなく 素直に受けて生きてみたらどうなんだろうという意識というか 感覚がまあこの時点で生じてきて はた迷惑というか 自身のある種の敗北を匂わせるような気分が漂う故にそれを受け入れるのは これまでの人生ではなかなかに出来難かったものなのでしたが なんというのでしょうか この度はそうかこの歳まで一向に深化も進展もはかばかしくなかった生来の感覚を それなら一度転換させようかという まったく私にとっては仰天動地の心境に素直に立ち入れたものなのであります

 ?

 自身でも不思議でした

 よく仏心がつくと その人の寿命の尽きるのが近づいていると言い伝えられてきましたが この期におよんで自身のバックボーンたる感覚を転換させても大した抵抗を 自身にも及ぼさないとなると 私自身なんか自身の生命力のかなりな劣化を認めねばならぬところまでやってきたのか 或いは頑迷な気性がこの期においてようやく改められるというか 自身の行き詰まりをようやく自身の体中で悟らされたというべきなのか それが自身の今後にどんな影響をもたさせるのかは 今はまだ霧中の如しで見通し不可に近い状態でしょうけれど ともあれ少し自身の「思考」に変化の兆しが現れたのは真実のようであります

 で・・・

 で どうなるか どういう考察が今後産まれるか 或いは不発のままで居続けるのかは まだまだ今後を待たねばならないのであります

 で この項 書きかけということで?!・・・(或いは永遠の書きかけになるのかもしれませんが ともかくも)

2010年8月 1日 (日)

歴史は繰り返すか?・・・

 そう 確かに歴史は繰り返し 従ってわが国の現代史もそれに添って 近い将来宿命的なカタストロフィーをむかえるという 不幸な一ページが書き加えられることになるのでしょう・・・

 長らくの鎖国が終り明治という近世期に入って それまでの鎖国時代の世界知らずぶりが大いに影響したのか 半ば怖いもの知らずの勢いでの日清・日露の戦争を開戦し しかも勝利ともいえる結末を得てしまった挙句が ついには先の大戦で完敗するまで ずるずるとその成功体験をお題目に信じ続け その結果現実に痛い目に遭うまで 誰一人として身を賭して進むべき道の誤りを阻止できる人が居ないような社会状況にありました

 その敗戦後見事なまでの廃墟から 身を粉にして私達の先代達は働き続け それに続く戦後世代も懸命にその背を追って働き 瞬く間に世界第二の経済大国に成りおおせてしまいました

 狭い島国で一億程度の人口で資源も食料も満足に自給できない条件下で 殆ど世界最速ともいえる短時間に豊かな経済力を誇れる国力を持つにいたったわけであります

 明治時代以後が武力・軍事力における成功体験で 今回は経済力における成功体験であります

 戦後低い人件費でもって アメリカ合衆国から製造業のあまたを奪い わが国の工業成長の源としてきたその現象は しかしアセアン諸国や中国などという新興の国家に いつか来た道のようにして 今度はわが国がそれらの国に生産を奪われ かつてのアメリカ合衆国が製造業種を大幅に失ってきたように 今やわが国もそれを失いだして 挙句が失業者や閉鎖工場の姿があちこちに見られるという惨状を呈してきているのであります

 しかし過去の成功体験時の後の状況に同じくして 今回もそれに慣れきった状況下で誰一人として この現状即ち目先の成功体験からの目覚め 発想の転換を言うものは無い現状であります

 目先の雇用者の維持・増加を第一とし 国内産業の保護・保全も第一とし 膨大な財政赤字に対する非現実感をその背景に抱き それというのもこれは実に戦後の目ざましく成し遂げた経済成長という成功体験が 私達すべての体に成功体験として染み付いているからで それが災いしていっかな誰もが先陣をきって来るべきわが国の不幸 例えるなら先の成功体験をいつまでも引きずって ずるずると突入してしまった戦争で最後は大敗したように 今回もこの成功体験に染み付いた気分が誰一人として 真に迫った危機を意識できず ついには先の大戦の原爆投下で思い知らされたような危機が本当に到来するまで 今回もまたわが国民は目先の生活の不足な部分には不平を言いながらも 現実の痛みを伴なう改革には誰一人として手をこまねくだけで 懐手のまま太平の夢を尚貪るかのような日々をいま少しの間は送って行くこととなるのでしょう 

 で 気がついた時は先の大戦の終結時と同じくし 完膚無きまでの惨状を迎えることなのでしょう (もっとも 世界の歴史を概観すれば だからこそ一国が半永久的に繁栄したという事績は有り得なかったのも確かで 大英帝国しかり モンゴル帝国しかり 大唐帝国しかり 云々とは云うものの) 

 なまじの成功体験が一転仇を為すとは 現代のわが国の現状そのものを言い表すフレーズに違い有りません

 驕る平氏は久しからず 売り家と唐様で書く日本人 まさに株式も不動産も外国資本で占められて その資本で一息つく国になるのかも・・・

2010年7月30日 (金)

斜め的学問の奨め?・・・

 この歳この時期になって ついに私は学問の必要性に思い至れました(?)

 クソ退屈な教室での殆ど強制的ともいえる社会適応用洗脳期間中は とにかく私は日々エスケープすることしか 眼中にありませんでした

 それがこの歳になって 或いはこの歳ゆえに ハタと学問の重要性 つまりなぜ人は学問をすべきであるのかという 極めて正当でかつオーソドックスな理由?に思い至れたのであります!・・・

 とにかく現在の私くらいの年齢になると 記憶力の衰えたるやはなはだしきものがあり しまいにはその見事な忘れっぷりに 自身の痴呆化への懸念よりは その切れ味の鋭い?忘れっぷりに我ながら感嘆してしまおうかともいうべき皮肉に富みすぎた現状であります

 加齢世代の誰もが経験することでしょうけれど 過ぎ去った遠い昔の記憶はかなりの顕在さでもって脳裏のどこやらから引き出してこれるのに 直近の出来事に対する記憶は悲しくなるほどに覚束なくて それこそ薬を取りにリビングへやってきて そこでついTVの番組に気をやるうちに きれいに初期の目的を忘れるなんてことは 今や日常茶飯事と化しております

 そこでハタと得心できたのであります

 すなわち若い頃の記憶は かなりの程度減殺されずに加齢世代の脳裏に居残っているとするのなら 今見たこともすぐに忘却の彼方となってしまう現在の学習努力はかなり効率の悪いものであるのは 宿命的なものでしょうから それならいつまで経っても記憶量の減少率の少ない 若い頃に大いにまたシコタマ記憶の源泉たる知識を仕込んでおけば それが年老いても大いに戦力として脳裏に染み込んでいて 何歳になっても生きる糧となることは まず間違いありません

 同じような知識を加齢世代が新たに身につけようと努力しても 恐ろしいまでもの忘却力が災いをもたらせて その非効率なことはちょっとやそっとのものではありません

 なにしろ一つのことを覚えこむのに 若い頃と比べて 恐ろしいほどの時間がかり そしてまたそうやって覚えたものを忘れる早やさたるや 本当に悲しくなるほどの時間の差が 青年時代と比べて生じているというものです 

 げに ここで私は達観したのであります 富やお金に劣らず老後の為を思えば 若い頃に精一杯知識を脳裏に詰め込むことが 掛替えの無い蓄財となって老後の生きるうえでの大きな助けとなってくれるであろうということなのであります

 少年老いやすく 学成りがたし  

 楽に記憶や思考のできる時に大いにそれを行い それが不可能に近くなった時の 備えとすべしであって これ即ち自身の老後の脳力の電池切れを一日でも遅く繰りやるための必携事項であって つまりそれが若き日の学問の奨めの主因なのであります???・・・ 

2010年7月27日 (火)

鳩達も?・・・

 鳩達も 羽ばたき忘れ 昼下がり

 鳩達も 日陰を歩く 昼下がり

 鳩達も 日陰で座禅 昼下がり 

2010年7月26日 (月)

滞生同盟?・・・

 やれ住み良い社会 希望のある社会 活力ある社会云々 国政選挙前になる度に定番のコピーが 街中を飛び回ります

 雇用に 福祉の向上に 景気回復による国民総インカムの増加に 保険・年金の安定維持に云々と 我々庶民の日頃望むところは尽きるところがないようです(その割には つまり要求する割には 増税などという義務に対する我々の負担意識は いつの世も希薄ではあるのですが)

 その昔は世の最高権力者 支配者たる人と その配下の貴族階級なる層の人々のみが 生存に関するあまたの欲求を追求できたのでしょうけれど また尽きせぬその欲求の獲得のための あまたの武力による闘争が 歴史を彩ってきたのでしょうけれど そしてその経過を踏まえて遅々たる進化とはいえ 今日では一応民主主義政体で 個人の基本的人権が当然どこの誰にも 生まれ以って付与された権利の如くになされた社会を迎えられることになった 国家というものが数多く存在するようになりました

 平和 善 平等 福祉 福利 長寿 安穏 雇用 健康 はては幸福そのもの 或いは愛や神そのものでさえ・・・ などなど様々な達成目標というか 有るべき目標というか 我々の日常にはかくの如き美しい抽象名詞が多数舞い踊っております

 結局の所 何やかや言ったところで 我々人類族のこれらは「滞生同盟」をひとえに希求するやるせないというか けなげなスローガンであって その生存本能にもとづく欲求を 上記のごとき抽象名詞に昇華させ得る われら人類のレトリックたるや まことに見上げた知恵ぶりであると今更ながら 感嘆せざるを得ないという認識で わたしは今は胸一杯なのであります・・・・  

2010年7月25日 (日)

結構な暑さぶりで?・・・その2

 只今終末の昼さがり 拙宅の3Fの窓から見下ろせる眼下の公園は 時折パラソルをかかげてショートカットで歩きぬけて行く婦人の姿以外は 人っ子一人見られない状況中・・・

 梢が地上に描く薄黒い日陰の範囲内に 鳩達がひっそりと舞い降りて そこの土の上に撒き残されたパン屑をヨチヨチとついばむ他は その外れで一羽のカラスがあたかもハグレ風に 地上に舞い降りたまま突っ立っており その風情は季節外れの黒マントの無気味な哲人鳥と感じさせてくれはしますが その他はこれといって印象に残る風景も新たには感じられなく ただひたすら暑さに陣取られた白昼の公園風景そのものにすぎません

 一連の野鳥達の緩慢な動きを見下ろして ふと感じることは熱中症対策として 人族はやたら水分補給の必要を強調されているこの時期 彼ら鳥族はこの都会内で一体いつどのようにして 水分を補給しているのだろうかという 素朴な疑問でありました

 羽ばたくという行動原理から勿論過重な体重を維持することは その生理に反することなのでしょうけれど しかし例えこの暑さに彼らが人間以上の水分補給を必要としないとしても それにしてもそれが零ということはありえないでしょう

 池や湖などという天然の水場は殆ど無くて 川という水場まではそれなりの距離のあるこの地の 野鳥達はほんとどうして水場をさがしているものなのだろうか?

 淀川程の水流のある川なら 水質も飲むに値するかもしれないでしょうけれど 例えば道頓堀に象徴される運河の水は野鳥達の消化器官には 耐えられる水質なのでしょうか・・・

 蛇口を捻る野性の猿というのは 映像で見かけた記憶はありますが 蛇口を捻るカラスはまあ有り得ないでしょうし?・・・

2010年7月24日 (土)

結構な暑さぶりで?・・・

 本日も結構な暑さぶりでと 皮肉の一言もかけたくなるような 灼熱振りであります

 地球温暖化といえばそれまでですが たかだか数度の気温上昇が 人類にはたかだかという程度以上の影響を及ぼすとは こと気温に関してはほんの数度というのは決してミクロな数字ではなく 結構人類に於いては死活的ともいえるマクロな数字となってくるもののようであります

 金銭でいうところの1円2円なる1や2なる数字のの次元とは訳が違うようであります と灼熱のせいで溶解し始めたわが脳は 子供だましめいたこんなレトリックで文面を糊塗しようという魂胆なのであります 

 まあそうでもしなければおさまりのつかない 結構な暑さぶりといえるのでしょう・・・

 クマゼミの 涼しげに鳴く 筈もなく

2010年7月21日 (水)

うたた寝や?・・・

 

 うたた寝や 思うことなく 蝉の声

 うたた寝や 今方丈の ワンルーム

 うたた寝や ツワモノどもの 盛夏かな